天然のビタミンCです
甘柿一個で
一日分のビタミンCがとれます
柿に含まれている栄養の中で、注目はビタミンC。大人一日の摂取量は100mg。甘柿一個にはそれを満たすビタミンCが含まれていて、レモンやイチゴと同じぐらい豊富な、とびきり美味しい天然のビタミンなのです。
ちなみに、柿は日本のフルーツと思ったら、中国から渡ってきたものだとか。KAKIは万国共通の名前で、学名は「Diospyrtos kaki(ディオスピロス カキ)」。Diospyrosは ギリシャ語の「Dios(神、ジュピター)+ pyros(穀物)」が語源で、”神の食べ物”の意味なのだそうです。それだけ、栄養があり、体を健康に保つ食べ物として大切にされていたのでしょう。
溝にそって切ると種にあたりません
ひと霜ごとに甘くなる完熟柿も格別
「柿って、むくのめんどくさ〜い」、「種に包丁がひっかかる〜」。でも、ご安心下さい。柿の実は、よく見ると十文字に溝がはいっています。その溝にそって包丁を入れると、あら不思議。種にはあたらず四等分できます。さらに、半分にしても種にはほとんどあたりません。りんごのように、ぐるぐる皮をむくより楽ちんです。
これから霜がおりるごとに、柿は完熟へと向かい美味しくなってきます。ヨーロッパなどでは完熟の方が好まれていて、へたの部分を蓋のように切ってスプーンで食べるのもおすすめ。どんな和菓子やケーキもかなわない、天然のデザートです。イタリアのように完熟柿にシャンパンを注いだり、ヨーグルトにいれたり。柿のいろんな食べ方を見つけて下さい。
お試し下さい
柿の王様富有柿
日本の甘柿生産の6割が富有柿
品種はなんと1000種類
もともと中国から渡ってきた柿は、日本では1000年ほど前の奈良時代の「古事記」や「日本書紀」に登場します。福岡には、今から400年あまり前の元和2年(1618)以前に、佐々木巌流が嘉穂郡足白に渋柿の尾岩を姫路より移植したという記録があり、それ以前に大分(だいぶ)柿という甘柿もあったようです。
「富有柿」の発祥の地は岐阜県本巣郡で、安政4年(1857)に小倉初衛さんが栽培した柿がすばらしく、同じ村の福嶌才治さんが家の柿に接ぎ木して見事な柿を実らせたとか。各種品評会での入賞や天皇献上品に選ばれ名声が拡がり、明治末から大正にかけて全国に穂木(接ぎ木にする枝のこと)が配られ、今や日本の甘柿生産の6割が富有柿となりました。柿の品種は1000種類あまり。今でも新たな品種が誕生しています。
福岡は富有柿生産日本一
その最初の苗木は田主丸に植えられました
福岡県は、富有柿の生産日本一ですが、大正3年(1914)に福岡県の四カ所で始まった柿の営利栽培のうち2名は田主丸町水縄の鳥越幸平さんと、竹野の上村七郎次さんでした。その後柿の栽培が広がった陰には、田主丸が植木・苗木発祥の地として苗木づくりの高い技術を持っていたことがうかがえます。田主丸は一世紀近い歴史を刻む富有柿の産地なのです。
元山の古木が物語る
田主丸柿の忘れられぬ味
名物の柿喰いに行くか羨まし
これは田主丸町大慶寺に残る、昭和14年に詠まれた東本願寺の大谷法王の句です。寺の第十三世井波潜彰師が帰国する際に、かつて寺から献上した柿の記憶を詠まれたものとか。大慶寺を始め、田主丸町内にはこの柿「元山」の古木がいたるところにあり、献上された柿は「元山」だったかもしれません。ゴマがはいって黒糖を思わせる甘さのその柿は、昭和30年代までは、高値がついていた柿の名品でした。
富有柿もさることながら耳納山麓の瓦礫質の土壌は、句に詠んでうらやましがるほど忘れられない柿の味わいをつくりだしていたようです。
接ぎ木の跡が残る樹齢80年の富有柿
樹齢300年を超す元山の古木
柿栽培の歴史を学んで農業体験
田主丸は観光柿狩り発祥の地
今でこそ、ポピュラーとなった柿狩り。実は田主丸から始まりました。詳しくは「田主丸はフルーツ狩り発祥の地」をご覧下さい。そこには、お客さまに畑に来てもらうという逆転の発想がありあり、ぶどう狩りへと広がっていきました。その歴史のおかげで今、田主丸では、柿、ぶどう、いちじく、みかん、ブルーベリーと、さまざまなフルーツ狩りを楽しむことができます。
→田主丸ぶどう狩り・ナビ!